とりあえず生きる

誰の得にもならない文章です

こじらせないdays 4日目

4日目

今日のはじまりも夢だった。中学の時の恩師が出てくる夢だった。細かい内容は忘れてしまったが、とても幸せなものだったと覚えている。

その方にはすごくお世話になったのに、離任の際に話をすることも、お礼を言うこともできなかった。あれから5年以上経ったが、私にはたくさん伝えたいことがある。離任式の日、お礼が言えなかっただけで、私は貴方に縛られている。

 

何か小さなことが、これからの人生の後悔の種子になりそうで怖くなる。だから、やる前からたくさん考えてしまうし、やってしまったこともクヨクヨ悩んでしまう。その根元がおそらくこの経験にあるのだと思う。だから私は、今できる最善の方法で最大の気持ちを伝えたい。まあ、それがすぐにできれば苦労しないんだけれど。

 

現実では母校の卒業式があり、懲りずにまた顔を出した。とはいえ卒業生と交流するわけでもなく、1年ぶりに会った先生とたくさんの話をしていた。

先生の話し方に懐かしさを覚えながら、色々な考え方があって、色々な事情があって、それらを考える必要があると改めて感じた。もしかしたら、実は先生の思考もめんどくさいのかもしれない。でも、私はたくさんのことを考えてくれている先生を素直に尊敬したし、そういう考え方がきちんとできる人間になりたいと思った。

結局、自分の場合は悪いことばかりを考えてしまい、それがこじらせ思考につながっているのだろう。自分のことだと冷静になれない。まだまだ子供だと思う。

 

先生と「めんどくさい」について少しだけ話をした。めんどくさいにも色んな種類があるが、大きくまとめると自分にとって受け入れられない人はめんどくさい人になるらしい。そもそもめんどくさいは自分の感情であるわけで、めんどくさい人って言うのかよ、めんどくさい人ってなんだよ、と思った。でも、今の私はめんどくさい人間にならないためにこんなブログを書いている。矛盾だ。めんどくさいって思われないように、そう考えること自体意味がないのかもしれない。

私のめんどくさいは私の中にしか生まれないし、相手のめんどくさいも相手の中にしか生まれない。だからわかるわけがない。そんなことを気にするのは、めんどくさいというより、意味がない。なんとなく、気づいてしまった、かも。脱めんどくさいできるかな。

 

今日はたくさんしゃべったし、考えたし、感じたし、それに楽しかった。いい日だ。あと3回。また明日。