とりあえず生きる

誰の得にもならない文章です

「愛してる」の響きだけで、人は強くなれるのか

有名な歌詞だ。だけど、夢の中の言葉のように思う。

君がいるだけで心が強くなれるとか、君を守るために生まれてきたんだとか、愛してるの響きだけで強くなれるとか、それって本当なんだろうか。

 

自粛期間中、人と会うこともなく、自己成長に励む訳でもなく、ただただ日々を消化していた。就活にも力が入らず、なんとなく、ただなんとなく現状へのどうしようもなさだけを感じていた。

前々から言っているように、自分は何かに向けて頑張ることが不得手な人間だと思っている。それがこの期間に改善されるわけでもなく、遺憾なく発揮されたというだけのことだ。別にどうということはない。多少の情けなさは感じるけれど、結局そんなもんなんだと思う。

 

最近は少しずつだが情勢が変わり、人と会う機会が生まれてきた。後ろめたさもなく、人と会えるということが、ただただ嬉しく思えた。

そうやって誰かと会う約束をしていた時、あるトラブルが起きて一人で待たされることがあった。なんで今日に限って。と思ったが、仕方のないことだったので大人しく待った。

待ってる間、相変わらず私はだらだらしただけだった。ただ一つだけ、もし何もなければ今頃は楽しくおしゃべりしていただろうになあ。と、切ない気持ちを抱えて。

 

そんな時、ふと思ったのだ。

私は、誰かといる時には強くなれるのかもしれないと。正確には、誰かの前では強い自分であろうとできると。

 

それはただの見栄かもしれないし、強がりかもしれない。外側だけ良くしても、中身は空っぽで内実が伴わないままでしかないのに。結局「強い私」は空虚な妄想の産物でしかないのだ。

でも、それでもいいのかもしれない。たとえ空虚な妄想だとしても、強くあろうとする私が確かに生まれているのだから。

 

「愛してる」の響きだけで、私は強くなれない。

でも、私はそう言ってくれる誰かの前では強くいよう。そんな風にちょっぴり思える気がした。