とりあえず生きる

誰の得にもならない文章です

散文とか

6月。梅雨の季節。

たくさんの本を買い込んだ。その中に穂村弘のエッセイがある。なんとなく、春や夏に彼の文章は似合わない。秋か、冬か、梅雨か。そんな彼の文章を読んでいたら、散文を書きたくなっていた。

 

ここ数日雨続きだ。私は雨自体は嫌いじゃない。雨の音は気分を穏やかにさせる。それに、憂鬱な私の気分と雨がピタリと合うと、なんだか嬉しくなる。お前も寂しいんだね、って。だけど外へ出たら濡れてしまうから雨の日の外出は嫌いだ。雨の日は家で静かに過ごすに限る。

晴れは好き嫌いに対象になりにくいのに、雨だけはいつも好きか嫌いかの二択だと思う。でも私は、地理学とか生物学とか、そんなの関係なしに、雨の日も大事だと思う。

雨が降れば、少し家でゆっくり過ごそうかなと思える。雨が降れば、好きなあの子と相合傘ができる(かも)。雨が降れば、憂鬱な気分を雨のせいにできる。

 

何かを雨のせいにするのは雨のせいにできない何かから逃げているだけなのかもしれない。それでも、たまには何かのせいにして逃げたっていいと思う。

雨も、たまには悪くない。