自分をひろげる

前回、前々回と教育のことを書いた。

しかし私は、教育に関して強い興味関心があるわけではない。つもり。なぜ「つもり」なのかというと、高校の頃から教育について考えることが多かったからだ。

 

教育について考えていた理由は、私が教育を受ける立場であったからだ。そして、今もその立場は変わらない。しかし、もし自分がその立場の人間でなくなったら、私は教育について考えることをやめる気がする。やめないまでも、考える頻度は確実に減るだろう。

つまり、私が考える対象とするものは、今自分が触れている世界ばかりなのだ。

 

しかしながら、生きて行く上で自分の触れている世界のことだけ気にしているのでは、どうやらダメみたいだ。

一人一人、自分の触れていない世界のことも考えられる力を持てた方が、より良い社会になる。その時、自分が触れていない世界のこととして考えるのではなく、自分が触れるかもしれない世界、と考えることが大事らしい。

 

自分が触れている世界のことから、自分が触れていない、でも触れるかもしれない世界のことまで、考えをひろげる。これを、「自分をひろげる」と言いたい。

 

「自分をひろげる」それはときに、楽しいことにもなり、辛いことにもなるものだと思う。けれど、ひろがった自分は、きっと今とは違った世界の見方をするだろう。それってなんだかワクワクする。

なんで自分をひろげなきゃいけないんだ、と思う自分もいる。でも、少しだけ、そのワクワクに賭けてみてもいいのかもしれない。

 

ということで、次の日曜のテーマは「自分をひろげる」。半分ぐらい大学の授業の受け売りだが、私がすごく気に入っている考え方。

でも、この考え方を教えてくれた授業は、どうも人気がないらしい。自分が偏屈だということだろうか………。大好きなんだけどなあ………。