高等教育 つづき
高等教育のお話。
前回の通り、大学は「課題探求能力の育成」を主として、専門的素養のある人材を育成する機関である。
これ自体は別にいい。大学は自分の興味のある分野に特化した勉強を行い、それに関する研究を行う場であると思っている。これは上記の事と大きく違わないだろう。
しかし、現実の大学はそのような場なのだろうか。
今、私は大学1年生だ。大学に入って専門的なことをたくさんやってるのかと思えば、まだまだ基礎的な科目ばかりである。そして初年度教育と呼ばれる部類の科目もいくつか受けている。その初年次教育の科目は「大学での学び方を学ぶ科目」である。これが私のひっかかりだ。そもそも、「学ぶため」に大学に来ているはずなのに、「学ぶための学び方を大学で学ぶ」という構造がわからない。
このままでは「学ぶ」という言葉でゲシュタルト崩壊しそうなので、少し方向を変える。上記で「学ぶため」に大学に来ているはず、と書いた。実のところ、そうでもないのかもしれない。
大学へ来る動機は様々だ。理想は「学びたいことを学ぶために大学へ行く」ことだ。しかし、大卒である方が就職する時に有利であるという印象が強く、「就職のために大学に行く」という動機を抱いている人も多いだろう。もしかしたら「遊ぶため」という人もいるかもしれない。
別に、「志を高く持て」と言いたいわけではない。だが、少なくとも、学ぶための学び方は意識した上で大学へ入る必要があるのではないか、と言いたい。そしてそれは大学入学以前に教育をするべきではないか、と思う。高大接続とか、大学入試改革とか、色々言われているが、一番大事なことはそこなのではないだろうか。
書いてると構想通りにいかない。別に啓蒙をしたかったわけでも、愚痴っぽくしたかったわけでもないのだけど。うーん文章力。もうちょっと書き方があった気がする。けど、日曜に間に合わないのであげる。
もうすぐ月曜日。
高等教育
大学は、高校までの教育機関とはガラリと趣が変わる。
高校までとは違うことは、個々に言えばたくさんある。しかし、最も大きな違いであり、個々の違いに強く影響している点は、大学は"高等教育を行う場"という点だと思う。
高等教育とは何か。例に漏れず辞書をひく。
【高等教育】
初等教育、中等教育の学校教育を中核とする普通教育の基礎の上に位置づけられた、さらに精深な一般教養教育と高度な学問研究ならびに専門職業に必要な知識・技能を授ける教育。
(引用: 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) )
さらに調べてみると、文科省に高等教育に関するページがあった。
第1節 高等教育の役割
高等教育の役割については、以下のように考える。
(1)学部段階の教育
学部段階においては、初等中等教育における自ら学び、自ら考える力の育成を基礎に「課題探求能力の育成」を重視するとともに、専門的素養のある人材として活躍できる基礎的能力等を培うことを基本として、次のように教育内容を再構築する必要がある。
(引用: http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/old_chukyo/old_chukyo_index/toushin/attach/1309727.htm)
長いのでこの先は割愛するが、要は「課題探求能力の育成」を重視しつつ、専門的素養のある人材を育成することが高等教育の役割であるようだ。
この「課題探求能力」について。そして、そもそも大学での学びについて。これらが、最近の私のモヤモヤの多くを占めている。
と、ここまでイントロを書いて、案外長くなっているので、続きは日曜。
どうでもいいけど、引用するとやたらに文字数増えますね。バランスが難しい。あと、文字の見え方も思った通りに綺麗にいかない。
経済学の話
800字くらい書いた記事が消えてショックを隠せないでいる。しかし、決意表明後初の日曜からサボるわけにもいかないので、更新する。
私が学んでいる「経済学」の話。
みなさんは経済学というと何をイメージするだろうか。真っ先に「お金」のイメージが出てくる人が多いのではないか。私は小難しそうな学問だと思っていた。お金のことは特に考えていなかった。バカなだけかもしれないが。
改めて「経済」というとつかみどころがない。そこで、辞書をひいてみた。
けい‐ざい【経済】 の意味
1
㋐人間の生活に必要な財貨・サービスを生産・分配・消費する活動。また、それらを通じて形成される社会関係。
㋑金銭のやりくり。「わが家の―は火の車だ」
㋒費用や手間のかからないこと。倹約。「弁当を持っていくほうが―だ」
(出典:デジタル大辞泉)
なるほど、先ほどのお金のイメージは㋑のことらしい。しかし、実は私が経済学を志した理由は㋐にあたる。
㋐を簡単にいうと「必要なモノを人々に適切に分配すること」と言える。「適切に」というと、配給みたいな感じがしてしまうので、もっと意訳して、「幸せになれるように」と言ってもいいかもしれない。
つまりは「必要なモノを人々が幸せになれるように分配すること」が「経済学」だと私は思う。そう教えられたから、経済学を志した。 結局ただの受け売りである。
こうした経済学のイメージはその通りだったようで、授業を受けていて「どれだけ幸福なれるか」ということが考えの中心にあるのを感じる。教授も時々そういう話をする。その度に、私が学びたかったのはこういうことなのだと思う。
「必要なモノを幸せになれるように分配する」
「どれだけ幸福なれるか」
このことが念頭にあれば、もっと経済学に良いイメージがつくのになあと思う。
なんとなく経済学をやろう、ではなく、人々の幸せを考える学問だから経済学をやろう、となる人が多い世の中だといいのに。
決意を込めて
大学生になって早くも1ヶ月が経った。
高校卒業前(正確には大学入学前)は、バリバリ勉強し、意識の高いサークルや団体に入るなりインターンを始めるなり、活動的な大学生として過ごすつもりだった。
また、このブログも、世間のことや自分のことを毎日とは言わずも、ちょこちょこ書いていくつもりだった。
1ヶ月。全く有言実行できていない。
ここまで自分がぐうたらだとは思わなかった。
確かに、新しい生活にまだ慣れていないことや、バイトを始めたことで家に帰るのが遅くなった。
しかし、何もしていない時間がありすぎるのも事実である。ただゲームをし、ネットサーフィンをし、だらだらとお菓子を食べる。そんな時間。まことに無駄である。でもやってしまう。自分という人間の甘さを実感する。
5月。
「春眠暁を覚えず」の時期は終わった。もうグダグダしてる場合ではないのだ。
5月は5月で病気が流行る。みなさんご存知五月病だ。私の場合、すでに五月病だったということにして、今月からは動き出す。
その決意のためにも、今月は今週から日曜に必ずブログを更新することにした。
自分の目標というだけではあるが、できたらこのブログにお付き合いしていただけると幸いである。
決意を込めて。
とりあえず
初投稿って何書いたらいいんじゃって感じなんですが、とりあえずはじめまして。
このブログは、普段こんなことがあったよ的なことを書く目的ではなく、自分の文章力を上げるため、思考の整理をするため、そしてなにより自分から発信する行為をするためのものです。ブログなんて数年ぶりで少々勝手が分からずにいますが…。かつてやっていた時は中学の頃で、もはや黒歴史ものだからなあ……。
そんなわけで、真面目な内容だったり、他の記事を読んでの話だったりが多いかと思います。散文になる予感しかしませんが、なるべく伝わりやすい文章を心がけて頑張りたいと思います。
作ったはいいのですが、3月は忙しくて、本格的に書き始められるのは4月からになる気がします。暖かい目で応援してくださると嬉しいです。これからよろしくお願いします。